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東條首相電撃來比の反響 日本産業經濟新聞 1943.5.10(昭和18)

日本産業經濟新聞 1943.5.10(昭和18)
ルネタ公園の歡喜

“写真と同じだ”と大騒ぎ

東條首相電撃來比の反響

(マニラ支局八日發特電)五日の東條首相の歴史的來比は比島民に多大の反響を及ぼし新生比島官民は擧げて驚喜に乱舞し絶大の感謝を捧げたが、勿論今回の來比は現地派遣将兵の士気を鼓舞し且亦軍政の細微に迄立ち至つた首相の視察と訓示は軍政を一段と促進せしめ比島建設を強力に推進するのみならず共榮圏各域の建設に好刺激を齎すものと言ふべく敵米英に與へる脅威亦想像以上のものがある事は明らかだが特に首相來比に對して感激と歡喜を捧げた比島官民の動向を此処に具体的に傳へよう。
五日マニラにその温容を現はした首相は豫定の行事に寸暇もなく司令部軍政部より比島の現状を聽取し六日はバルガス行政長官等比島側と隔意なき懇談を遂げ比島民衆感謝大會に臨んでは帝國の眞意を力強く宣明且亦マニラ各種文化敎育機關、造船所椰子油工場等の産業建設の実際現場をも隈なく視察する等首相の陣頭指揮振りは比島官民の腦裏に強く印象づけられたが、比島官民の反響を具体的に拾つて見ると左の通りである。

一般大衆
東條首相來比の最初のマニラホテル迄の大通りに塔列した比島大衆は最初「日本の高官來る各隣組員は指示により歡迎準備せよ」と市長から指示されてゐただけなので始めて東條首相來ると知るや意外なだけに一層驚喜し街々は全く活氣が漲り「写真と同じだ」と言ふ大騒ぎだつたが六日の比島民衆感謝大會ではルネタ公園に集合した比島官民は卅萬を超へ文字通り身動きもならぬ有樣だつた、今その緊張を示す實証を具体的に示すことが出來る、即ち

(イ)
一般人が異常な興味を以て從來にない多人数が参集した事もさり乍ら今後のルネタ公園の比島民衆感謝大會では參集した人々が東條首相の演説となると耳に手をあて、何か物を言ふ奴があるとシ、シ、と制止してゐる有樣で今迄見せもしなかつた眞劍さを示してゐた、それだけでなく時々ヤンヤン(そこだ、そこだ)と拳を擧げて相槌を打つのがあり比島人が今迄と非常な異いのある真剣さで傾聽してゐたのを見た。

(ロ)
第二にはかう言ふ會合の時には熱帯地の事とて日射病が續出するのが例だが今度は非常に小さく、參集の小學生の中からも日射病を出したりしてゐないことは注目すべき事で、比島人の緊張を示す一証拠であつた。

比島上層並に知識層
比島人上層部も一般知識層も五日は電撃的首相來比に殆ど面食らつた形で、あまり突然なので言ふべき言葉なしと言ふ所だつた、勿論非常な反響であつた事は言ふ迄もなく、稍落付いた六日に至つて、「比島開闢以來の大政治」だと言ひラウレル氏は「比島の夜が明けた」と率直に首相の招宴の席上述懐したが、彼らの首相來比に對して示した動きを具体的に見ると次の通りだ。

(イ)
首相は六日のルネタ公園比島民衆感謝大會及び同夜のマニラホテルに於ける招宴於いても比島独立聲明を重ねて明け放しに率直に再確認したことは非常な感銘を與へ、首相の一語一語が終ると拍手する有樣で独立聲明の再確認をされた感激によつてゐた

(ロ)
大日本総理大臣が過去に前例のない訪比を断行したことに對し比島を思ふ日本の眞意のあるところを實際的に裏書きされたものと見、それが強い對日強力の自覺となり、一部に殘存した洞ヶ峠の中途半端な氣分は完全に捨てられるだらう。

尚地方への反響は目下の所明白とはなつてゐないが之亦かなりの衝動を與へることは明らかで、只之が單なる通信として地方に傳はるだけでなく内務部長ラウレルの感動が全地方の感動として傳はるであらう
勿論在留邦人の反響も非常なもので過去に大東亞戰爭に協力の至極を盡した邦人が努力むくいられて首相を目のあたり觀た感激は言ふ迄もなく特に敵米比軍の只中にあつて迫害を續けられた邦人としてその感じの深かつたことは此処に記す迄もなからう、第三國人も同樣皆電気的衝動で驚喜したこと言ふ迄もない、最後にトピックとして次のやうなのが傳はつてゐるのを特記して置かう
五日首相はマニラホテル迄の途上オープンの自動車を使用したことは比島民に強い印象を與へてゐる、世界的腐敗政治を行つた比島旧政府時代にはケソンの如きは常に武装物々しく出動し、決して開放的なオープンの自動車などでの外出は不可能であつた、ケソンは民衆の敵だつたのだが、首相の今日の開け放しの態度は比島人の眼に物珍しい位で、大に好感を與へたことである
第二にはルネタの卅萬人の群集を觀てある古老はかう感嘆した即ち一九三七年東洋カソリック大會の群集が比島史上に見る大集會だつたが今度のはこれ以上であると言つた、比島人にとつてカソリックの集會ほど重要なものはなく、まして東洋大會であつたのに、その時の大會の會衆よりも物凄い人であつたのは正に首相來比が歴史的事件であり敵米英の心膽を寒からしめるものであることを知らう