2016-01-01から1年間の記事一覧
日本産業經濟新聞 1943.5.10(昭和18) ルネタ公園の歡喜 “写真と同じだ”と大騒ぎ 東條首相電撃來比の反響 (マニラ支局八日發特電)五日の東條首相の歴史的來比は比島民に多大の反響を及ぼし新生比島官民は擧げて驚喜に乱舞し絶大の感謝を捧げたが、勿論今回の…
大阪朝日新聞 1943.5.8(昭和18) 東條首相の態度 比島人心を把握 バルガス長官感激談 【マニラ特電七日發】東條首相兼陸相は六日宿舎マニラ・ホテルにおいて比島行政府バルガス行政長官ら各部長官、大審院長及び新比島奉仕國事務總長と隔意なき懇談をとげたが…
大阪朝日新聞 1943.5.7(昭和18) 比島の現状 村田省蔵 きょう七日はコレヒドール陥落の一周年、再建比島は脈々たる更生の息吹きの中に対日協力の誠意を示しつゝある。時あたかもわが東條首相は五日歴史的なる比島訪問をなし、民衆に対し「諸君は大東亞戰爭に…
大阪毎日新聞 1943.5.7(昭和18) 東條首相比島訪問の意義 社説 東條首相を迎へたマニラ市民感謝大會は、同大會の決議において「大日本帝國の任侠的指導と比島及び比島人に對する歴史上その類いなき寛仁なる政策に對し、不滅の感謝を表明するものなり」と結ん…
ADDRESS OF HIS EXCELLENCY, JOSE P. LAUREL, REPRESENTATIVE OF THE PHILIPPINES, BEFORE THE ASSEMBLY OF THE GREATER EAST ASIA CONGRESS, TOKYO, JAPAN, NOVEMBER 5, 1943. YOUR EXCELLENCY, YOUR EXCELLENCIES, GENTLEMEN: In all humility, I rise to …
大日本帝国天皇陛下及「フィリピン」共和国大統領ハ日本国カ「フィリピン」国ヲ独立国家トシテ承認スルコトニ決シタルニ因リ両国相互ニ善隣トシテ其ノ自主独立ヲ尊重シツツ緊密ニ協力シテ道義ニ基キ大東亜ヲ建設シ以テ世界全般ノ平和ニ貢献センコトヲ期シ確…
フィリピン國代表 大統領 ホセ・ペ・ラウレル閣下演説(譯) 議長閣下、閣下竝に各位、僭越乍らフィリピン共和國の代表と致しまして、私はこの画期的にして光輝ある會議に際し茲に一言所見を申述べんとするものであります。私は先づ大東亞共榮圏各國民の指導者…
松岡洋右全権 『十字架上の日本』 一九三二年十二月八日の臨時総会に於ける松岡全権の演説 議長閣下並に紳士諸君── 一昨日以来為された各位の御演説を、余は頗る緊張した気持で拝聴したのである。御演説に対して必要と感ずる意見を申上げることは一切、今後…
大阪朝日新聞 1943.5.7(昭和18) 東條首相・比島を訪問 軍状軍政を視察・首腦と懇談 大東亞戰に積極協力獨立の實を備へよ 親しく民衆に第一声 情報局發表(五月六日午前八時)東條内閣總理大臣兼陸軍大臣は比島の軍状並に軍政状況を視察すると共にバルガス行政…
フィリピン共和国誕生す 大御稜威の下、大東亜戦争下に、先に独立したビルマ国についで、大東亜共栄圏内に生誕する独立国フィリピン共和国の光栄ある独立式典は、昭和十八年十月十四日、マニラ市国会議事堂前広場で、厳粛盛大に挙行された。 即ち、この日の…
第三六五号(昭一八・一〇・一三) 学徒の徴集問答 陸 軍 省 南洋群島・南方諸地域における 在外徴集延期制度の撤廃等について 陸 軍 省 勝ち抜くための節電 逓 信 省 海陸輸送の一貫的強化 鉄 道 省 徴兵制実施と戦ふ台湾の実情 フィリピン独立の沿革 フィ…
松前島郷帳 元祿十三年 從松前西在郷并蝦夷之覺 一ねふた村 一さつまい村 一あか神村 一雨たれ村 一もくさ村 一のしの下村 一幾よべ村 一ゑら町村 一おこしへ村 一はらくち村 一石崎村 一はねさし村 一汐吹村 一扇石村 一瀧澤村 一木の子村 一かみの國村 一…
少しく「北の問題」の名残りを留める話題を記していく。 ■道方針、協会に指導 道は26日の道議会予算特別委員会で、アイヌ民族の人たちの認定を厳格化する方向で検討する方針を示した。 現在の戸籍ができる以前の「改製原戸籍」で確認することなどを検討し…
先日迄の記述。 千島樺太兩島交換條約迄の経過を日本側視点を中心として記述を進めた。 中立視点ではなく、日本側視点なのは当然「樺太と千島は元来日本領」という観点が自分の中に有するからであり、学問的ではない。 だが、領土問題を論じるのに、中立視点…
二月はどうも日本の北方防衛にとっては魔の月である気がしないでもない。 思えば1854年2月7日、つまり安政元年十ニ月廿一日、中千島・北千島放棄を決断した日露和親條約(日魯通好條約)の締結。全ては其処から始まっている。 2月7日が「北方領土の日」なので…
昨日の衝撃は今以て体内に余波が残っている。 正直、南樺豊原に日本帝国総理大臣が立つ其姿を見るのが茲迄苦痛を呼ぶとは自分でも思っていなかった。 …夫にしても麻生総理が豊原で首脳会談。現時点では苦痛に身悶えるより他には無い。 確かに現時点では、反…
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090218/plc0902181101005-n1.htm 麻生首相、ユジノサハリンスク着 2009.2.18 10:57 このニュースのトピックス:麻生内閣 【ユジノサハリンスク=田中靖人】 麻生太郎首相は18日午前、全日空チャーター機で羽田空…
現在の日本国魯西亜国通好条約(日露通商條約、日露和親條約)の説明で触れられるのが、先ず 「樺太は日露雑居地」 と規定されたという事であるが、亦外務省も夫れを踏襲している気配である。 非常に稚拙な説明であり、解釈であり、問題を内包し、歴史をきちん…
文化三年(1806年)の大泊(久春古丹)での紛争を描く前に、少しく前年までの動きを追述しなければいけない。 1790年代以降、幕府は千島防衛に漸く重い腰を上げ、寛政十一年(1799年)、津軽弘前、南部盛岡両藩に幕府は南千島防衛部隊派遣を要請。両藩は各々500名…
2月7日の日露通商條約締結日(当然太陽暦換算で2月7日である)を記念し、南千島を「固有領土」として返還への誓いを新たにする「北方領土の日」 も、帝国の国の始りを記念とし、肇国の志を再び胸に刻む紀元節(どうしても建国記念の日とは言いたくはない)も無事…
国書刊行会の『続々群書類従』の元禄13年版の「松前島郷帳」を漸く閲覧。 内容を一気呵成に書き写した。 貸出禁止の書物(何故だ?)であり、市民図書館のコピーサービスを使うだけの資力もない(真面目に金は皆無だった。10円も無い)状況故に、書き写しを敢行し…
YAHOO知恵袋で「勘察加(カムチャツカ=カムサツカ)半島は、日本領となった事があるのか」という趣旨の質問がされていた。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118565801 つぅぅ。答えたいが、回答はとっくの昔に終わっている。そして…
~見果てぬ北の大地~ 総合論と各個目次 昨年の晩秋以来「勘察加領有の過去があったか否か」の考察を皮切に、北の見果てぬ大地への考察、論件をつらつらと記述し綴続けて来た。 基本的に自分の物心付き、近代史と政治に興味を抱いて卅数余年、南樺太と千島列…