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NiftyからYAHOO!に移り、今此処に来た。雑記。

東條首相電撃來比の反響 日本産業經濟新聞 1943.5.10(昭和18)

日本産業經濟新聞 1943.5.10(昭和18)
ルネタ公園の歡喜

“写真と同じだ”と大騒ぎ

東條首相電撃來比の反響

(マニラ支局八日發特電)五日の東條首相の歴史的來比は比島民に多大の反響を及ぼし新生比島官民は擧げて驚喜に乱舞し絶大の感謝を捧げたが、勿論今回の來比は現地派遣将兵の士気を鼓舞し且亦軍政の細微に迄立ち至つた首相の視察と訓示は軍政を一段と促進せしめ比島建設を強力に推進するのみならず共榮圏各域の建設に好刺激を齎すものと言ふべく敵米英に與へる脅威亦想像以上のものがある事は明らかだが特に首相來比に對して感激と歡喜を捧げた比島官民の動向を此処に具体的に傳へよう。
五日マニラにその温容を現はした首相は豫定の行事に寸暇もなく司令部軍政部より比島の現状を聽取し六日はバルガス行政長官等比島側と隔意なき懇談を遂げ比島民衆感謝大會に臨んでは帝國の眞意を力強く宣明且亦マニラ各種文化敎育機關、造船所椰子油工場等の産業建設の実際現場をも隈なく視察する等首相の陣頭指揮振りは比島官民の腦裏に強く印象づけられたが、比島官民の反響を具体的に拾つて見ると左の通りである。

一般大衆
東條首相來比の最初のマニラホテル迄の大通りに塔列した比島大衆は最初「日本の高官來る各隣組員は指示により歡迎準備せよ」と市長から指示されてゐただけなので始めて東條首相來ると知るや意外なだけに一層驚喜し街々は全く活氣が漲り「写真と同じだ」と言ふ大騒ぎだつたが六日の比島民衆感謝大會ではルネタ公園に集合した比島官民は卅萬を超へ文字通り身動きもならぬ有樣だつた、今その緊張を示す實証を具体的に示すことが出來る、即ち

(イ)
一般人が異常な興味を以て從來にない多人数が参集した事もさり乍ら今後のルネタ公園の比島民衆感謝大會では參集した人々が東條首相の演説となると耳に手をあて、何か物を言ふ奴があるとシ、シ、と制止してゐる有樣で今迄見せもしなかつた眞劍さを示してゐた、それだけでなく時々ヤンヤン(そこだ、そこだ)と拳を擧げて相槌を打つのがあり比島人が今迄と非常な異いのある真剣さで傾聽してゐたのを見た。

(ロ)
第二にはかう言ふ會合の時には熱帯地の事とて日射病が續出するのが例だが今度は非常に小さく、參集の小學生の中からも日射病を出したりしてゐないことは注目すべき事で、比島人の緊張を示す一証拠であつた。

比島上層並に知識層
比島人上層部も一般知識層も五日は電撃的首相來比に殆ど面食らつた形で、あまり突然なので言ふべき言葉なしと言ふ所だつた、勿論非常な反響であつた事は言ふ迄もなく、稍落付いた六日に至つて、「比島開闢以來の大政治」だと言ひラウレル氏は「比島の夜が明けた」と率直に首相の招宴の席上述懐したが、彼らの首相來比に對して示した動きを具体的に見ると次の通りだ。

(イ)
首相は六日のルネタ公園比島民衆感謝大會及び同夜のマニラホテルに於ける招宴於いても比島独立聲明を重ねて明け放しに率直に再確認したことは非常な感銘を與へ、首相の一語一語が終ると拍手する有樣で独立聲明の再確認をされた感激によつてゐた

(ロ)
大日本総理大臣が過去に前例のない訪比を断行したことに對し比島を思ふ日本の眞意のあるところを實際的に裏書きされたものと見、それが強い對日強力の自覺となり、一部に殘存した洞ヶ峠の中途半端な氣分は完全に捨てられるだらう。

尚地方への反響は目下の所明白とはなつてゐないが之亦かなりの衝動を與へることは明らかで、只之が單なる通信として地方に傳はるだけでなく内務部長ラウレルの感動が全地方の感動として傳はるであらう
勿論在留邦人の反響も非常なもので過去に大東亞戰爭に協力の至極を盡した邦人が努力むくいられて首相を目のあたり觀た感激は言ふ迄もなく特に敵米比軍の只中にあつて迫害を續けられた邦人としてその感じの深かつたことは此処に記す迄もなからう、第三國人も同樣皆電気的衝動で驚喜したこと言ふ迄もない、最後にトピックとして次のやうなのが傳はつてゐるのを特記して置かう
五日首相はマニラホテル迄の途上オープンの自動車を使用したことは比島民に強い印象を與へてゐる、世界的腐敗政治を行つた比島旧政府時代にはケソンの如きは常に武装物々しく出動し、決して開放的なオープンの自動車などでの外出は不可能であつた、ケソンは民衆の敵だつたのだが、首相の今日の開け放しの態度は比島人の眼に物珍しい位で、大に好感を與へたことである
第二にはルネタの卅萬人の群集を觀てある古老はかう感嘆した即ち一九三七年東洋カソリック大會の群集が比島史上に見る大集會だつたが今度のはこれ以上であると言つた、比島人にとつてカソリックの集會ほど重要なものはなく、まして東洋大會であつたのに、その時の大會の會衆よりも物凄い人であつたのは正に首相來比が歴史的事件であり敵米英の心膽を寒からしめるものであることを知らう

東條首相の態度 比島人心を把握 大阪朝日新聞 1943.5.8(昭和18)

大阪朝日新聞 1943.5.8(昭和18)
東條首相の態度 比島人心を把握

バルガス長官感激談

【マニラ特電七日發】東條首相兼陸相は六日宿舎マニラ・ホテルにおいて比島行政府バルガス行政長官ら各部長官、大審院長及び新比島奉仕國事務總長と隔意なき懇談をとげたが、右に關しバルガス行政長官は七日左のごとく語つた
從來われわれ比島人が大臣閣下に対し拘懐しをりたる欣仰敬慕の念は一時間半にわたる懇談の結果その信念をますます強めたのである、大臣閣下は右の懇談において深い理解を有せられることを示されたものであるが、閣下の御誠意と率直なる談話を拝聽し、一同はいたく感激せしめられた、閣下は衷心より協力の実をあげ、もつてなるべく速かなる時期において獨立を達成せんことを切に希望する旨表明せられた、大臣閣下は全比島人の福祉が明朗なる政策の樹立に存することに深き關心を示された、また昨日午後の市内巡視に際し閣下は旧政府時代における米人高官の型ばかりの視察とは全くその趣を異にし徹底周到なる態度を如実に示された、大臣閣下は今や偉大なる政治家および指導者としてはたまた同情深き比島の指導者として比島人心を完全に把握せられた、余は全力を傾倒し積極的に協力するの決意をこゝに表明する

比島の現状 大阪朝日新聞 1943.5.7(昭和18)

大阪朝日新聞 1943.5.7(昭和18)
比島の現状

村田省蔵

きょう七日はコレヒドール陥落の一周年、再建比島は脈々たる更生の息吹きの中に対日協力の誠意を示しつゝある。時あたかもわが東條首相は五日歴史的なる比島訪問をなし、民衆に対し「諸君は大東亞戰爭に積極協力し、速かに独立の実を備へよ」と親しく呼びかけた。彼らの歡喜は大きい。この時に當り比島派遣軍最高顧問村田省蔵氏は「比島の現状」につき左の手記を本社に寄せた。

日和見清算 指導者日本へ協力著し
五月七日はコレヒドールが陥落して一年であるが、振返つて見ると非常な変化があつたと思う。バタアンが落ち、つゞいてコレヒドールが陥落するまでは比島行政府は何といつても日和見的な態度であつた。しかし當時としてはそれも無理からぬ節もあつた。皇軍のマニラ入城は昨年一月二日、ついで同年二十三日に皇軍の行政代行機関として比島行政府を組織せしめたが、バルガス長官をはじめ首脳部はほとんどみな米領時代自治政府の官吏、または民間の有力者で、どちらかといへばアメリ謳歌者であつた。中には東亞の風雲急を告げるや、アメリカの尻馬に乗つて比島民にたいしてさらにアメリカへの忠誠を誓わせ、反日を使嗾してゐた人もある。ところが日本の勝利によつて俄に行政府の役人となつたのであるから、いはゆる寝返りものとして内心忸怩たるものがあつたやうである。それとともに民衆からも同様の眼をもつて見られるので、當時は身辺の危険をさえ感ずるほどであるから民衆の中に入り込んで皇軍の眞意を伝へるなどは思ひもよらず「自分は日本軍の要請にまかせ民衆の秩序維持、安寧保持のため行政の衝にあたつてゐるのだ」などといつてゐる者もあつた。ところがコレヒドールが陥ち、米比軍が全面的に降伏するに及んでかれらもつひに事態の眞相を直視し、すつかり観念してしまつた。それ以來比島人の考えは大いに変化したのである。

大東亞戰爭で覺醒
陥落直後の慶祝大會、八月の全國知事市長會議と種々の催しが日を重ねるにしたがひ、その時々に聞くバルガス長官や要人たちの演説の内容もだんだん日和見的なところがなくなつて來た。その當時の代表的なものとしては八月十五日第二回の縣知事市長會議の招宴の席上バルガス長官「今まで自分らは誤つてゐた」と述懐し「比島はスペインの虐政下に沈淪し漸くこれからのがれるや、こんどはアメリカに賣渡されてしまつた。われわれは當時独立を願望してゐたので一致團結してアメリカに反抗したが、力足らずして心ならず屈服した。アメリカの統治は比島民の福利を全然考へずすべて自國本位のものであつたが、その巧妙なる偽装と魅力に滿されて比島民はいつか反抗心を失ひむしろ滿足してやつて來たのである。しかし大東亞戰爭によつてわれわれは覺醒された今にして思へばアメリカ人は比島人を全く劣等視し、われわれはかつて正當なる待遇を受けたためしはなかつた。アメリカの悪虐なる差別待遇に氣がつかなかつた。われわれは誤つてゐた。まことに申訳がない」と演説してゐる。
その後軍の指導により時を経るにしたがひ対日協力への機運が漸く盛となり、これを決定的ならしめたのはかの一月二十八日の比島独立再確認に関する東條声明であつた。

[写眞(村田最高顧問)あり 省略]

比島再建への大行進
昨年正月十二日の最初の独立声明に対しては比島民は一應喜びはしたが心底から感じてはゐなかつた。いつのことか分らないがこんなことをいふんだらう程度に思つてゐた。ところが総理大臣の再声明では出來るだけ早い機會にとまでも附言したので日本が本氣に独立を約束したのだなと日本の眞意がわかつて、果然その態度が眞劍になつて來た。この比島民の氣持ちは二月の独立再確認感謝民衆大會にはつきり看取された。バタアン、コレヒドール落慶祝大會の際は参加者数萬といはれたが、行列の間隔もとかくはなればなれであつた、ところがこんどはまるで意氣込が違い、山車は出るし押すな押すなの勢ひで参加人員十数萬、群衆を入れて二十萬といはれ比島民のことごとくがいづれも自らの創意で歡喜に魅されてすゝんで行進するといふ氣持があふれてゐた。こんどは本當だらうといふ希望に燃へた新比島建設への大行進だつたといへる。それだけの氣持の発展があつた。そこへもつて來てこの東條再声明に関し軍政監の比島独立の基本三原則を示された。治安の確立、経済の再編成、精神的に東亞本然の姿への還元と三つの方向を示したのだ。これがまた大きな刺激となりこれで行くんだと役人も、人民も新比島建設の鉄則をはつきり與へられた。

活発なカリバピ運動
とくに独立再声明以來活発なる動きを見せたのは新比島奉仕國(カリバピ)運動であらう。元來比島民は島だけでも七千八十いくつあつて、人種も、言葉も、それぞれ違ひ、すべてが複雑といふ言葉で形容出來、したがつて人心が掃一してゐないところへもつて來て米國がデモクラシーの名のもとに多数の政党を作らせ、いはゆるディヴァイド・アンド・ガヴァーンで党利党略によつて島民を牆に閲がしめ一致團結を阻んでゐた。こんな実情では独立はできぬといふので比島民の創意によつて昨年の暮自発的に從來あつた四、五の政党が解党を断行し、内地の大政翼賛會に則つて國家奉仕を目的とした思想團体としてカリバピを結成し國民の一致團結を企圖したのである、そこへ東條再声明によつてその運動目標がいよいよ確かとなりカリバピ運動はさらに光彩を添へ、今や全國的遊説に大童となつてゐる

積極對日協力へ
つぎに独立三原則の一つたる治安の確保についてももし一部米比軍の掣肘、または匪賊のために独立の時期が遅れるやうなことがあつてはこれこそ比島独立の癌であり、これは比島人の手によつて一日も早く征服しなければならないといふ自覺が非常に強まつて來た。今まではゲリラは日本軍が討伐してくれるといふ安易な傍観者の態度で自分達がゲリラをどうしやうといふ氣持ちはなかつた。その現れの一、二を擧げれば‐比島行政府の各長官が島内を七つの担當区に分け、めいめい責任をもつて治安の確保に當ることになり、バルガス長官のごときも三月郷里のビサヤ地方へ四年振りに帰り、市民大會を開いて民衆に呼びかけた。また独立三原則の徹底を期して二月にはルソンの州知事市長會議をマニラに、四月末にはセブでビサヤ諸島州知事市長會議を開催し、また近くミンダナオでも開くが、マニラにおける會議を見ても終始異常な眞劍味に溢れ、開會もケソン時代、すなわちアメリカ時代上下両院のごときは一時間や二時間は平氣で遅れてゐた。會議の内容も眞劍味を欠くものがあつたが、今回の會議はラウレル内務長官が遅れて來た知事の入場を拒んだといふほどで、その討議のごときも終始熱誠なもので収穫も多かつた。また今までのとかく軍政監部の指圖についてさえをればよいといつた頼りない態度もなくなつて昨年の夏などは日本の軍政になつてから夏休みもなくなつたと不平をいつてゐた役人も独立の希望によつて本氣に働きだし最近は各長官、次官やマニラ市長などは日曜日も出勤してゐるといつた有様である。かくのごとく今や比島民は日和見主義を綺麗に揚棄し、消極的な對日依存から前進して積極的な對日協力への熱意に燃えてゐる。

食糧も自給安定へ
次に比島経済につき一言すれば比島のみならず南方経済建設はいふまでもなく作戰第一主義を第一とし、軍現地自活の線に沿つてやつてゐる。また民生より見ても戰時下現地自活は喫緊の問題で種々の困難はあるけれどこれはあくまでやり抜かなければならない。まづ食糧については昨年春軍政施行と同時に爾來食糧増産に力をいれて來たので現在のところほぼ自給安定の見通しがつくやうになつた。砂糖は生産過剰になるだらうと一時内地で心配され過剰糖処分が問題になつてその対策として棉作への転換が考えられたのであるが、それはまつたく杞憂に終つた。甘藷の新しい利用法が考え出されたのである。すなわち現下戰う日本がもつとも必要な航空燃料の製造の工作を進めつつある。さらに原料に乏しい比島においてはアルコールも砂糖からどしどし取らなければならない。このやうに燃料関係から見て砂糖は余るどころか足りないくらゐで、将來増産も考へねばならぬと思つてゐるくらゐである。したがつて棉花栽培も砂糖と関聯せず別個に考えていい。もし棉花栽培がうまくゆかぬのなら強ひてやる必要はない しかし昨年の試験栽培の結果は有望であることがわかつた、場所によつては例年にない早魃と多照と特有の虫害によつて平均して期待した成績は擧げられなかつたが、ところによつては見事な成績を擧げ比島の棉作はやりやう次第で相當有望だといふ自信を持ち得た。過去一年の経験を生かし予期通りの成果を収め得れば比島の需要を滿たした上にさらに共榮圏内の他の土地にも振向けるぐらいに発達し得るだらう。元來比島には棉花はスペイン時代かなり立派に育つてゐたのであるが、米國が自國の棉作を保護するため比島に作らせなかつたのでその証拠にルソン島の棉作の中心地であるキヤバスはインド語で棉花を意味しており、バタンガス・ホワイトとか、イロコス・ホワイトなど土地の名をつけた棉花の種類があり、ルソンにもビサヤ地方にも立派な野生の棉花があるくらゐで、棉花栽培の可能性もあるのはたしかである。もつとも綿はただ出來るといふだけではいけないのであつて経済的に栽培出來るか、どうかを考へることはもちろんである。

地下資源も頗る有望
余談であるが煙草などもカガヤン渓谷その他から生産されるが米國がやはり自國本位から紙巻用黄色種を栽培せしめず、葉巻用の黑色葉だけつくらせたもので昨年より黄葉をも栽培せしめることとなつた。これに見ても米國がいかに自國本位に比島の産業を抑制してゐたかの一端がわかるであらう。コプラや麻も一時内地で生産過剰を懸念されたが、新用途によつて実情はむしろ當面増産の段階にある。要するに南方の過剩物資については東條首相もいはれてゐたやうに目先の考えから減産を考えないで物をいかに利用するかといふ積極的な活用法を考究して開発に民衆を指導せねばならぬ。種々の地下資源についても有望であるが、今は重点主義によつて特殊のものの採掘に力を入れてゐる。木造船の建造も軌道に乘つて來た。

英語次第に影薄し
軽工業については内地の遊休設備の移駐問題にも関連するが、日用必需品も出來るだけ現地にて調べるやうに今軍政監部では日比人の指導に苦心惨憺してゐる。その他文化、思想、社會敎育の各方面より見てもこの一年の伸張といふか、様変りといふか、その変り方は非常なもので平時なれば五年、十年かかつても望めないことが出來つゝある。現に言語の点からいつても一部スペイン語が使われてゐるほか英語一色で塗りつぶされてゐたものが、いまでは英語の影は次第に薄くなり要人達の演説などもいままで例のない公用語としてのタガログ語が使われるやうになるし、軍の指導ももとに新しく発足した警察隊のごときは号令は日本語で警察隊員養成所の卒業式などにも卒業生は立派な日本語で答辞を述べる有様で、青少年子女はもとより老年者まで心あるものは日本語の勉強をするもの隨所に見うけることとなつた。比島各方面の現状は以上の通りであるが匪賊も遠からず姿を消し國力の増進と指導者日本への協力に向つて一意邁進するであらう。

東條首相比島訪問の意義 大阪毎日新聞 1943.5.7(昭和18)

大阪毎日新聞 1943.5.7(昭和18)
東條首相比島訪問の意義

社説

東條首相を迎へたマニラ市民感謝大會は、同大會の決議において「大日本帝國の任侠的指導と比島及び比島人に對する歴史上その類いなき寛仁なる政策に對し、不滅の感謝を表明するものなり」と結んでいる。それはバルガス行政長官以下良識ある比島人の信念を、率直に吐露したものと、吾等は見る。事実、右の大會において、東條首相が聲明してゐるやうに「この大戰はわれわれ大東亞十億の民族が、眞に道義に立脚して新しい大東亞を建設せんとする一大征戰である」のである。かかる雄偉なる構想と高邁なる理想の顕現を期し、敢て帝國がその國運を賭するといふことは、文字通りに史上空前の大業である。皇軍の善謀勇戰によって敵アメリカの搾取と桎梏から解放された比島及び比島人が大東亞及び大東亞民族の一環として、新たなる大東亞の建設につき、帝國に對して全面的に協力すべき使命を担つてゐるのは、寧ろ自明の理といはなければならない。
比島および比島人が、この歴史的使命の完遂を期するには、東條首相が親しく比島民に向って指摘してゐるやうに、誤れるアメリカ主義を速かに一掃して、民族興隆の源泉である剛健進取の氣風を養ひ、大東亞民族の眞の姿に立ちかへることであつて、それが着々と具現してゐるのは、比島及び比島民のために、更に大東亞のために慶賀に堪えない。
東條首相は昨年来既に再度に亘つて、比島民が「帝國の眞意を諒承し、積極的にわが施策に協力し來るときは、欣然、獨立の榮譽を與ふ」ることを、帝國政府の名において確約してゐる。しかして帝國が信念の実行に當つて極めて勇敢であることは、進展する大東亞の建設過程が雄弁にこれを実証してゐる。換言すれば、比島及び比島人の獨立は、彼等の努力如何に懸つてゐる。帝國の眞意を諒解し、帝國の企図する大東亞建設に向つて、全力的に協力するところに、比島獨立の顕現が期待される。東條首相の比島訪問は、かかる事態への比島民の認識を更新し、帝國に對する協力の熱意を唆る点において、多大の効果があつたであらうと吾等は確信する。

English_大東亜会議_ホセ・ラウレル演説(19431105)

ADDRESS OF HIS EXCELLENCY, JOSE P. LAUREL, REPRESENTATIVE OF THE PHILIPPINES, BEFORE THE ASSEMBLY OF THE GREATER EAST ASIA CONGRESS, TOKYO, JAPAN, NOVEMBER 5, 1943.

YOUR EXCELLENCY,
YOUR EXCELLENCIES, GENTLEMEN:

In all humility, I rise to say a few words in behalf of the Republic of the Philippines on this momentous and glorious occasion. My first words shall be those of profound appreciation and gratitude to the great Empire of Japan and to her great leader, His Excellency. Premier General Hideki Tojo, who is sponsoring this great convention of leaders of the peoples of the Greater East Asia Co-Prosperity Sphere, so that they may discuss the common problems affecting their safety and their general welfare and so that, they may also, through personal contact, know one another and thereby hasten the establishment and perpetuation of the Greater East Asia Co-Prosperity Sphere, for the glorification not only of the Asiatic peoples but of the entire mankind.

My second thought is one of greetings to Your Excellency; to His Excellency the Representative of China; to His Excellency the Representative of Thailand; to His Excellency the Representative of Burma; and if I may be allowed, Your Excellency, to His Excellency Subhas Chandra Bose, who represents a new epoch in world history?the fight of the Asiatics for the freedom of the Indian people.

In fact, as I look back, Your Excellency, and recall the history of human civilization, I feel that this meeting of the peoples of Greater East Asia should have been held a long time ago; but, whereas, in the past we were kept as strangers, one and all, it is really gratifying to note that through the untiring efforts of the great Empire of Japan, for the first time in the history of the peoples of Greater East Asia, we are gathered and grouped together, never again to be separated as in the past, ready to fight oppression, exploitation and tyranny so that we may proclaim to the world that no longer shall the one billion peoples of Asia

be subjected to domination and exploitation by a few Western powers of the world. At this juncture, will you allow me, Your Excellency, to mention three reasons why, in my opinion, we had not been able to meet, unite and discuss our common problems here?

The first reason is that the policy of the Western Powers, especially of England and America, has always been to dominate politically and exploit economically the oppressed peoples of Greater East Asia, with the possible exception of Japan, and, naturally, that policy of exploitation and domination has weakened the peoples of Asia, has sapped their vitality and, therefore, has deterred and dwarfed their initiative; and because of that policy of the peoples of England and America, we have not been able to meet earlier to discuss the common problems of Greater East Asia.

The second reason is that, in pursuance of, and as a corollary to that policy, America and England have always intended to divide the peoples of Greater East Asia in accordance with the principle of “divide et impera,” in order to weaken the morale, the vigor and the vitality of the peoples of Greater East Asia. America and England have divided these peoples by establishing divisions in their religion, in their classes and by encouraging political differences among them. They have divided, at least, the people of my country. They have divided, I am sure, the people of China, and I am sure they have also divided the peoples in other parts under their jurisdiction and sovereignty, so that the peoples of Greater East Asia, divided and weakened, may not be able to consolidate their forces and rise to uphold the honor and dignity of the Orient.

The third reason is based on the experience of the small and young Republic of the Philippines. America and England have taught us to hate the Japanese on the pretext that Japan is a conquering power, greedy and imperialistic; that Japan desires to expand its authority and prestige and that, when we have come in contact with its people, we shall be exploited and oppressed. Realizing that Japan is the only country in this part of the world which could not be subdued because of its great spiritual and material powers and because its people are united, Western diplomacy maneuvered to create a feeling of hatred and suspicion towards the Japanese people, making us think and believe’ that they were our enemies and not our friends and brothers. These, in my opinion, are the reasons why the peoples of Greater East Asia had not been able to unite and band together before for the purpose of discussing, as I have said, the common problems affecting their security, their prestige and their very honor.

I was, Your Excellency, very deeply touched the first time that the representatives of the participating countries were asked to partake of Your Excellency’s hospitality. As I entered your reception room, tears flowed from my eyes and I felt strengthened and inspired and said, “One billion Orientals; one billion peoples of Greater East Asia! How could they have been dominated, a great portion of them, particularly by England and America? I wonder!” And so it is really with the utmost pride and satisfaction that I have come to represent a small republic like the Philippines and extend my greetings to Their Excellencies who have come in response to the invitation of the illustrious leader of the great Japanese Empire.

I have listened with attention and enthusiasm to the following words employed by His Excellency, Premier General Hideki Tojo, and I will ask your permission just to read a few lines which I believe express fundamentally the guiding principles which, under the leadership of Japan, will guide and govern the conduct of the Oriental peoples, the peoples of Greater East Asia, and which will make us go on forward until the war is won and until the principles of the Co-Prosperity Sphere shall have been firmly laid. His Excellency said: “The nations of Greater East Asia, while mutually recognizing their autonomy and independence, must, as a whole, establish among themselves relations of brotherly amity. Such relations cannot be created if one country should utilize another as a means to an end. I believe that they come into being only when there is mutual respect for one another’s prosperity and all countries give expression to their true selves.”

In other words, the Greater East Asia Co-Prosperity Sphere is not being established for the benefit of any integral unit of that Sphere. According to His Excellency, the starting point of the establishment of the Sphere is recognition of, and respect for, the autonomy and independence of every integral unit, so that, with that recognition of political independence and territorial integrity, each nation may develop in accordance with its own institutions, without any particular member monopolizing the resulting prosperity to the other integral units, on the theory that the prosperity of all is the prosperity of the integral parts, but that the prosperity of the integral parts is not necessarily the prosperity of the whole.

In other words, co-existence, co-operation and co-prosperity, if I may be allowed to say so, are the three words, the three magic words, which underlie the sacred cause championed by the great Empire of Japan and subscribed to by the other peoples and nations of the Greater East Asia Co-Prosperity Sphere. To enable the peoples and nations of Greater East Asia to enjoy the natural right to live, the great Empire of Japan is sacrificing life and property and is staking even her very existence in this sacred war. She is fighting not for the Japanese alone but for all the peoples of Greater East Asia. Japan will not be happy, I know, to live alone and see her brethren in East Asia die. She wants to live, it is true At the same time, however, she wants her brother Orientals to also live and to co-exist with her. Japan lives, China lives, Thailand lives, Manchoukuo lives, Burma lives, India lives, the Philippines lives. And all of us living, we shall endeavor to achieve, not alone the prosperity of China or any other nation or integral unit, but the prosperity of all, and working together for the achievement of the means necessary for national existence, we shall co-operate with each other?co-operate for the establishment of a sphere of common prosperity, no longer to be dominated by Western Powers, but occupying a rightful place under the sun, with peoples happy under their own respective laws and institutions, welded together into a compact and solid bloc and contributing to the happiness and well-being, not of Asia and Asiatics only, but also and as well of the entire world.

There is another part of the speech masterfully delivered by His Excellency, the Premier, and I should like to obtain permission to quote and to emphasize this passage for my own benefit, and for the benefit, perchance, of the other gentlemen who have been invited to this gathering, so that we may preach to our people and enlighten them when we go back and give them an account of what transpired in this Assembly. The quotation has reference to Oriental culture, to the much-needed spiritualization of Oriental peoples. And I desire to quote it particularly, gentlemen, because I need it for my own country. His Excellency said: “A superior order of culture has existed in Greater East Asia from the very beginning. Especially is the spiritual essence of the culture of Greater East Asia the most sublime in the world. It is my belief that in the wide diffusion throughout the world of this culture of Greater East Asia by its further cultivation and refinement lies the salvation of mankind from the curse of materialistic civilization and our contribution to the welfare of all humanity.” His Excellency enjoins upon us all to mutually respect one another’s glorious traditions and to develop the creative spirit and genius of our peoples and thereby enhance even more the culture of Greater East Asia. This spiritualization, this efflorescence of cultural supremacy of the Oriental type, is something that we not only conceive and preserve and transmit as  a heritage to generations yet unborn, but as a basic idea, coming as it does from the lips of His Excellency, should also be planted deep in the hearts of all Orientals, especially those coming from a country as weak and small as mine and which languished long under the domination and influence of materialistic Western Powers, under Spain for more than 300 years and under America for forty years. And that is the reason why this spiritualization of the people, particularly of my country, is necessary. Indeed, we the leaders of our respective countries should renovate and change our entire educational systems so that our peoples may feel, think and act as Orientals. That is perhaps the best way of helping the Japanese attain the spiritualization of all peoples of Greater East Asia.

It is needless for me to say anything about the military aspect here. That is taken for granted because we cannot enjoy our freedom?neither Burma nor the Philippines can enjoy the freedom that has been granted to them for any length of time?unless Japanese arms emerge victorious in the current war. We fully realize this, and, while we are undergoing difficulties, we are determined to carry on and forge ahead until the goal of victory is achieved by the Empire of Japan. The fight of China, the fight of Thailand, the fight of all the peoples of Greater East Asia for freedom and integrity depends upon that victory. The establishment of the Co-Prosperity Sphere depends upon that victory. The attainment of the supreme aspirations of the peoples of Greater East Asia depends upon that victory. Without that victory there can not be a Co-Prosperity Sphere; nor can there be freedom for my country or for any other country in East Asia. There can never be prestige for the Orientals and, as in the past, Occidental Powers will try to dominate us more and more unto exhaustion and even death.

May I be permitted, Your Excellency, on this occasion, to pledge my support and the support of my people to Your Excellency, may I offer and pledge also to Their Excellencies, the Representatives of the different countries, the sympathy and cooperation of my country, however small and however newly born it may be, and our desire to lend at least the encouragement and sympathy of eighteen million Filipinos who, dominated by a spirit of materialism in the past, in keeping with the general trend of events, have awakened to the consciousness of their true Oriental character and are called upon to play the role which God in Heaven has assigned to them.

Your Excellency, it has been my privilege to join this conference with one single purpose in mind, and that is, to contribute in a small measure to the general awakening of the peoples of our part of the globe. At the same time, I desire to express officially the gratitude and appreciation of the Filipino people for the great boon of independence which has just been granted to them and which has enabled me to come and attend this conference and meet the worthy representatives of the peoples of Greater East Asia to this august assembly.

May I express the hope, Your Excellency and Gentlemen, that, linked together as we are, not only in body and in spirit but in all that is needed for the successful prosecution of the current war, after the termination of this war in favor of the great Empire of Japan, no longer shall we have a bleeding China, a country inhabited by five hundred million divided and exploited Orientals, but a happy and united China which will be a decisive factor, in cooperation with Japan, in trying to make this part of Asia a safe place for Orientals to live in. I hope that when the time comes for us to close our eyes and go to our graves, we can do so happily, knowing that our children no longer would be exploited and dominated by Western Powers. May I also express the hope that no longer shall India, now under the able and inspiring leadership of Mr. Bose, be dominated and divided religiously and politically by the British; that no longer shall India’s 350,000,000 strong be subjected to the influence, tyranny and oppression of Great Britain, or any other power for that matter. And may I express the belief, Your Excellency, that with the cooperation of Burma, of Manchoukuo, of Thailand, of China, and of the peoples of Java, Borneo, and Sumatra whose interests cannot be different from those of the other peoples of Greater East Asia? may I express the belief, I repeat?that united with Japan, united together one and all into a compact and solid organization, there can no longer be any power that can stop or deter the acquisition by the one billion Orientals of the free and untramelled right and opportunity of shaping their own destiny, without the oppressive intervention of any powers of the West.

The East is the cradle of human civilization. It has given to the West its religion and its culture, and yet the West has used the same civilization to exploit the peoples and countries whence that civilization came. God in His infinite wisdom will not abandon Japan and will not abandon the peoples of Greater East Asia. God will come and descend from Heaven, weep with us and glorify the courage and bravery of our peoples and enable us to liberate ourselves and to make our children and our children’s children free, happy and prosperous. I thank you.

Source: Office of the Solicitor General Library

http://malacanang.gov.ph/6959-address-of-president-laurel-before-the-assembly-of-the-greater-east-asia-congress-tokyo-japan-november-5-1943/

日本国「フィリピン」国間同盟条約(昭和18年条約第12号)

大日本帝国天皇陛下及「フィリピン」共和国大統領ハ日本国カ「フィリピン」国ヲ独立国家トシテ承認スルコトニ決シタルニ因リ両国相互ニ善隣トシテ其ノ自主独立ヲ尊重シツツ緊密ニ協力シテ道義ニ基キ大東亜ヲ建設シ以テ世界全般ノ平和ニ貢献センコトヲ期シ確乎不動ノ決意ヲ以テ之カ障害タル一切ノ禍根ヲ芟除センコトヲ欲シ之カ為同盟条約ヲ締結スルコトニ決シ左ノ如ク各其ノ全権委員ヲ任命セリ

大日本帝国天皇陛下
特命全権大使従三位村田省蔵
「フィリピン」共和国大統領
国務大臣「クラーロ、エメ、レクト」

右各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之カ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ諸条ヲ協定セリ

第一条 締約国間ニハ相互ニ其ノ主権及領土ノ尊重ノ基礎ニ於テ永久ニ善隣友好ノ関係アルヘシ

第二条 締約国ハ大東亜戦争完遂ノ為政治上、経済上及軍事上緊密ナル協力ヲ為スヘシ

第三条 締約国ハ大東亜ノ建設ノ為相互ニ緊密ニ協力スヘシ

第四条 本条約ノ実施ノ為必要ナル細目ハ締約国当該官憲間ニ協議決定セラルヘシ

第五条 本条約ハ締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘシ

第六条 本条約ハ成ルヘク速ニ批准セラルヘシ批准書ノ交換ハ「マニラ」ニ於テ成ルヘク速ニ行ハルヘシ

右証拠トシテ下名ハ各全権委員ハ本条約ニ署名調印セリ
昭和十八年十月十四日即チ千九百四十三年十月十四日「マニラ」ニ於テ本書二通ヲ作成ス

(署名略)



日本国「フィリピン」国間同盟条約附属了解事項

条約第二条ニ付

同条ニ規定スル大東亜戦争完遂ノ為ノ軍事上ノ緊密ナル協力ノ主タル態様ハ左ノ通トス

「フィリピン」国ハ日本国ノ為スヘキ軍事行動ノ為一切ノ便宜ヲ供与スヘク又日本国及「フィリピン」国ハ「フィリピン」国ノ領土及独立ヲ防衛スル為相互ニ緊密ニ協力スヘシ

右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本了解事項ニ署名セリ
昭和十八年十月十四日即チ千九百四十三年十月十四日「マニラ」ニ於テ本書二通ヲ作成ス

(署名略)

フィリピン國代表 大統領 ホセ・ペ・ラウレル閣下演説(譯) 大東亜会議(19431105)

フィリピン國代表 大統領 ホセ・ペ・ラウレル閣下演説(譯)

 議長閣下、閣下竝に各位、僭越乍らフィリピン共和國の代表と致しまして、私はこの画期的にして光輝ある會議に際し茲に一言所見を申述べんとするものであります。私は先づ大東亞共榮圏各國民の指導者より成る此の大會議を主催せられたる偉大なる大日本帝國及び其の偉大なる指導者たる内閣總理大臣東條英機閣下に對しまして、深甚なる敬意と感謝を申述べるものでありまして、此の會合に於て、大東亞國民族共通の安寧と福祉との諸問題が討議せられ、又大東亞諸國家の指導者各閣下に於かれましては、親しく相交わることに依りて互いに相知り、依つて以てアジア民族のみならず、全人類の榮光の為に大東亞共榮圏の建設及び之が恒久化に拍車を掛けらるる次第であります。
 次で私は中華民國代表閣下、タイ國代表閣下、滿洲國代表閣下、ビルマ國代表閣下及び若し許さるれば世界史上の一新紀元、即ち印度民衆の自由の為のアジア人の闘爭を代表せらるる自由印度假政府首班スパス・チャンドラ・ボース閣下に對し、御挨拶申上げる次第であります。

大東亞の「他人」一堂に會す

 誠に人類の文明史を回顧するとき、私は斯かる大東亞諸民族の會議は夙に開催せらるべきものであつたと感ずるのであります。我々は從來全くの他人として生存せしめられて來たのでありますが、大日本帝國の多大の御協力に依りまして、有史以來初めて我々が一堂に會しました此の事實に、私は心からの感銘を感ずる次第でありまして、斯くて我々は今後再び既往の如く離散することなく、壓迫、搾取及び壓政に飽くまでも抗爭し、十億のアジア民衆は少数西洋強國の支配及び搾取の犠牲とは再びならないことを世界に向かつて宣言し得る次第であります。是に関連致しまして、私は東亞諸民族が、從來斯く一堂に會し、其の結束を固め共通の諸問題を検討し得られなかつた理由と思料せらるゝ所の三點に付いて申述べたいと存じます。
 第一は西洋列強、殊に英米の政策は常に、恐らく大日本帝國を除く、大東亞の各抑壓國民の政治的支配及び經濟的搾取にあつたのでありまして、此の搾取、支配の政策に依りアジア民族は弱體化せられ、其の活力を吸収され、從つて又其の積極性を萎微せしめられたのであり、更には英米の斯かる政策の故に夙に吾等が相會し、大東亞の共通諸問題を討議することが出來なかつたのであります。
 第二の理由は、米英は以上の政策に遵ひ、又其の結果として、所謂分割統治主義に基き常に大東亞諸民族の分割を計り、以て大東亞諸民族の士氣、活氣及び生活力を弱めんとしたこと之であります。米英は大東亞諸民族の中に宗敎的、階級的差異を創り出し、政治的相剋を促進することに依り、之を分割したのであります。彼等は尠なくとも我がフィリピン國民を分割致しました。又私は彼等が中華民國國民を分割し、更に其の法制及び主権下に在る他の諸地域の國民を分割し、斯くの如く分割衰退せしめられたる大東亞諸民族をして其の力を結集し、東洋の名誉と尊厳とを護つて奮起するの力を喪わしめたものであることを確信するものであります。
 第三に擧げます理由は生まれたばかりの小國であるフィリピン共和國の體験に基くものであります。米英は次の如き口實を構へて吾等に對日憎悪を鼓吹したのであります。即ち日本は征服慾に燃えた貪欲にして帝國主義的國家であり、権威、聲望の拡大を望む國家であつて、我々が日本と折衝するに於ては搾取壓迫は免れざる所なりと称したのであります。日本は其の物心兩面の偉大なる力と國民の團結とを有するが故に、之を屈服せしめ得ざる東洋に於ける唯一の國家なる事を悟りましたる西洋諸國は、外交的謀略を以て對日憎悪感及び對日猜疑感の醸成に努め、吾等をして日本は吾等の朋友同胞にあらずして仇敵なりと信ぜしめたのであります。以上申述べたる所が即ち、大東亞各國民が其の安寧、権威及び名誉に関する共通諸問題を討議する為結集し得なかつた理由であると私は考へるのであります。
 參加各國代表が始めて議長閣下の御招待に與りましたる際、私は深き感動に打たれたのであります。閣下の茶會を催されました室に入りますや否や、私は感涙頬を傳ふると共に鼓舞せられ且霊感を受けたのでありまして、私は其の時「十億の東洋人、十億のアジア人よ、何故に御身等の多くは米英に殊更に米英兩國に斯くも壓迫支配されたのであろうか」と叫んだのであります。從つて私が小たるフィリピン共和國を代表してはるばる本會議に出席致しまして、大日本帝國の偉大なる指導者の招請に應じ參會せられたる閣下各位に親しく御挨拶申し上ぐる事の出來ますることは、誠に私の最も誇とし且満足する所なのであります。

大東亞共榮の本義

 私は議長閣下の申されました事を最も注意深く熱心に傾聴致したのでありますが、閣下の御許しを得ましてその一節を引用したいと思うのであります。それは日本を指導者として東洋民族、大東亞民族の行為を指導支配し、戰爭の完遂及び共榮圏原則確立の日迄吾等を前進せしむべき根本的指導原理を表示して居ると考えられるものであります。即ち閣下は「大東亞各國は互に其の自主独立をば尊重しつゝ、全體として親和の関係を確立すべきものであります。相手方を單に手段として利用する所には、親和の関係を見出すことは出來ないのであります。親和の関係は、相手方の自主独立を尊重し、他の繁榮に依つて自らも繁榮し、自他共に其の本來の面目を発揮する所にのみ生じ得るものと信ずるものであります。」と申述べられたのであります。
 換言すれば、大東亞共榮圏は之を形成する或る一國の利益の為に建設せらるるものではないのであります。閣下の御言葉を藉れば、大東亞共榮圏の確立は各構成國家の自主独立を認め、尊重することに始まるのでありまして、斯く政治的独立及び領土主権を承認することに依つて各國は各々独自の制度に應じて発展を遂げ、而も発展の結果生ずる或る國の繁榮を或る特定國が独占すること無く、全體の繁榮は各個の繁榮を意味するも各個の繁榮は必ずしも全體の繁榮ならざるの理に基き、一國の福祉と繁榮とを他國に及ぼすことを以て其の目的とするものであります。
 換言すれば、共存、協力及び共榮こそは、大日本帝國に依り唱導せられ、大東亞共榮圏の他の民族國民に帰依する神聖なる理念の根底を為す三要道であります。大東亞諸民族諸國民をして其の自然の生存権を享受せしめんが為に、大日本帝國は此の聖戰に生命、財産のみならず、其の存立其のものをさへも賭して居るのであります。日本は單に其の自國民のみならず、大東亞全民族の為に戰ひつゝあるのでありますが、日本は独り自己のみが生存し東亞の同胞が滅び苦しむことを幸福とするものでないことは、私の十分承知して居る所であります。日本は勿論生存することを望むでありませう。併し同時に其の同胞たる東洋諸民族も共に生存することを冀ふのであります。日本も、中華民國も、タイ國、滿洲國、ビルマ國、印度、フィリピン國も何れも生存し、斯くして吾等は中華民國、或は其の他の一國乃至一構成國の繁榮を達成せんが為努力を拂ふのでなく、全體の繁榮を計り、更に國家の存在に必要なる手段を獲得せんが為に努力し、進んで再び西洋諸國の支配を受くること無く世界に於て正当なる地位を占め、國民は各自の法律及び制度の下に幸福に生活し、緊密堅固に結集して、アジア及びアジア人の為のみならず、全世界の幸福と福祉とに寄與するが如き共榮圏確立の為に協力せんとするものであります。
 總理大臣閣下の優れたる御演説中、私自身のみならず恐らくは此の席に招かれたる地位の為にも、帰國後國民に本會議の成果を報告し之を啓発する為に、茲に引用することを御許し願ひたいと存ずる一節があります。それは東洋的文化、即ち必要性極めて大なる東洋民族の精神化に関するものでありまして、私は私自身の國の為に必要とするが故に特に之を引用せんとするのであります。即ち閣下は、「由來大東亞には優秀なる文化が存して居るのであります。殊に大東亞の精神文化は最も崇高幽玄なるものであります。今後愈々之を長養醇化して広く世界に及ぼすことは、物質文明の行詰りを打開し、人類全般の福祉に寄與すること尠からざるものありと信ずるものであります」と謂はれて居り、斯かる文化を有する各國は、相互に其の光輝ある傳統を尊重すると共に、各民族の創造性と天性とを伸張し、以て大東亞の文化を益々昂揚せねばならないことを吾等に敎へられたのであります。斯かる精神化、優秀なる東洋的文化の精粋は、我々が認識保存して次代へ傳承すべきものである許りでなく、閣下の述べられましたるが如く、根本観念として全東洋人の胸中深く刻み込まるべきものでありまして、殊に弱小にして不幸にも多年に亙り唯物的西洋諸強國の支配と影響との下に苦惱し、西班牙の治下に三百餘年、米國の治下に四十年呻吟したる我が國の如き國民の銘記すべき所なのであります。而して是即ち、各國民特に我が國民の精神化を必要とする所以であります。誠に吾等各國の指導者たるものは各其の敎育制度を全面的に改革し、以て國民をして東洋人として感受し、思惟し且行動せしむるの要があるのでありまして、恐らく此のことは日本が大東亞各國民の精神化を計るに對し最良の支援となるでありませう。

日本の勝利なくして共榮圏なし

 軍事的方面に関しては此の席に於て私の贅言を俟つ迄もありません。日本軍が今次戰爭に於て究極の勝利を得るに非ずんば、吾等は其の自由を享受し得ず、ビルマ國も、フィリピン國も、漸くにして與へられたる自由を樂しむことは出來ないのでありますから、判り切つたことであります。我々は以上の事實を深く認識し、種々の困難を忍びつゝ大日本帝國が勝利の目的を達成するの日迄堪へ進む決意を固めて居るのであります。中華民國の戰、タイ國の戰、否自由と自主との為の大東亞全民族の戰も、一に懸つて日本の勝利にあるのでありまして、共榮圏の確立も、大東亞諸民族の崇高なる念願の達成も、其の勝利に懸つて居るのであります。日本の勝利なくして共榮圏なく、我が國乃至東亞に於ける如何なる國の自由もないのであつて、東洋人の聲威は興隆することなく、西洋諸強國は再び往昔の如く我々を支配し、疲弊死に至らしめんとするでありませう。
 此の機會に私は、閣下に對する私及び我が國民の支援を誓約するものであります。又各代表閣下に對しては、我が國の同情と協力とを誓ふものでありまして、我が國は未だ誕生早々にして弱小ではありますが、尠くとも一千八百萬のフィリピン國民は激励と同情とを寄せんことを望むものであり、我が國民は既往に於て物質主義に支配せられましたが、事態の推移に應じ眞の東洋的性格の自覺に目醒め、神の與へ賜ふ使命を果たす責務を有して居るのであります。
 閣下、私は唯一の目的の胸中に蔵して本會議に列し得ましたことを誇りとするものでありまして、其の目的とは世界の此の地域に於ける有らゆる民衆の覺醒に些か資する所あらんとすること是であります。同時に又最近フィリピン人に與へられましたる独立の榮誉、私をして本會議に參列して大東亞諸國民の勝れたる代表各位に面接することを可能ならしめたる此の独立の榮誉に對し、茲に更めて我が國民の喜悦と感謝の意を表明せんとするものであります。
 閣下竝に各位、今日我々が單に物心兩面のみならず、現戰爭完遂に必要なる有らゆる點に於て團結して居るが如く、今次戰爭が大日本帝國の勝利に終わりたる暁に於ては、現に互に乖離し、搾取に委ねられ居る五億の東洋人が居住する國、即ち中華民國が現在の如く血を流すことなく幸福に結合せる中國となり、日本との協力に依り世界の此の部分を東洋人の安居樂業の地たらしむる為の決定的要素と成るであらうことを、私は切に希望するものであります。今や我々は、我々の天命尽き彼の世に旅立つ日が參りませうとも、喜んで此の世を去ることが出來るのであります。何故ならば我々は我々の子孫が再び西洋諸國の搾取支配を受けぬことを十分承知して居るからであります。又私は、今やボース氏の有力にして熱誠なる指導下にある印度も、再び英國の手に依り宗敎的政治的に分割支配せらるゝことなく、三億五千萬の印度民衆が再び英國其の他如何なる國の影響、壓制、抑壓にも禍いせらるゝが如きことなきを望むものであります。更にビルマ國、滿洲國、タイ國、中華民國竝に他の大東亞諸國と利害を異にする所なきジャワ、ボルネオ及びスマトラの諸民族と協力し、且日本に結びつき、總てが結集し鞏固なる組織體として一致團結するに於ては、如何なる國と雖も十億東洋人が西洋の抑壓的干渉を受くることなく自己の運命を開拓せんとする自由にして無碍なる権利と機會とを獲得せんとすることを制止し、又は遅延せしむることは不可能であるとの信念を表明致したいのであります。
 東洋は人類文明の揺籃であり、西洋に對し其の宗敎と文化とを與へたのでありますが、西洋は自己の文明の発祥地の人民を搾取する為に其の同じ文明を利用したのであります。無限の叡智を有し給ふ神は日本を見捨て、或は大東亞の諸國家を見捨て給ふこと無かるべく、必ずや天降り來つて吾等と共に涙し、吾等の勇氣を嘉し給ひ、吾等をして吾等自身を解放するのみならず、吾等の子々孫々を自由、幸福且繁榮ならしむことを可能ならしめ給ふでありませうことを申述べまして、私の発言を終る次第であります。

編輯者 情報局
印刷者・発行者 印刷局
週報叢書第十四輯 『アジアは一つなり』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1263031